2016年4月に始まる電力の自由化。
9月19日には、NHKで、「鬼と呼ばれた男~松永安左ェ門~」では、現在の中部電力につながる東邦電力など100社以上の経営にかかわっていた松永安左ェ門に焦点をあてたドラマが放映されます。松永安左ェ門は白洲次郎や岩崎家とも関わりをもち、子孫には松任谷正隆がいます。
(※詳細は「松永安左ェ門~電力の鬼と呼ばれた男~ NHKでドラマ化」へ)
このドラマの主人公である松永安左ェ門が生きた時代、実は電力会社は無数にありました。電力自由化は現代の問題だと思われがちですが、昭和の電力再編以前は自由な市場だったのです。
>>電力の鬼~松永安左ェ門~①
>>電力の鬼~松永安左ェ門~②
ほとんど規制の無かった電気の初期
明治時代に電気が日本にとりかまれてから、電気は目覚ましい発展を遂げました。街灯や鉄道など人々の生活に無くてはならないものへと成長していったのです。電気を必要とする人や事業者が増え、電気に対する需要が激増していきました。貯めることのできない電気は需要に合わせて同時同量で発電しなければいけません。この時代には数多くの電力会社が設立され、発電所が設立されました。
戦後の電力独占に真っ向から反対した松永安左ェ門
第二次世界大戦期に入ると電力会社は全て国有の企業になりました。つまり、戦前は電力自由化が実現されていたのです。第二次世界大戦が終わり、GHQによって電力会社の民営化が提言されました。電力会社の民営化を進める政府委員会の大半は1社の民営企業を設立し、日本全国で電力供給を行えば良いのではないかという意見でした。それは、ライフラインである電気は安定供給・安全性が至上の要求であるという考えに基づくものでした。その意見に真っ向から反対したのが、電力の鬼・松永安左ェ門だったのです。松永安左ェ門は一社独占を行うと電力産業自体がすたれてしまうとし、地域ごとに会社を分割すべきだと強く主張しました。最終的には松永安左ェ門の意見が取り入れられ、一般電気事業者が誕生し、今では10社の一般電気事業者が存在しているのです。そして、来る2016年4月にふたたび電力市場は自由化の扉が開かれるのです。