発電事業者の誕生
日本の電力自由化がスタートしたのは1995年のことです。
まずは発電部門の規制緩和が行われ、IPP(Independent Power Producer)という電力会社から独立した発電事業者が生まれました。
自家発代行
同時に、工場などの構内での要求条件が見直され、需要家の構内に充電設備を持ち込み、電力を供給する自家発代行という事業が認められました。IPPは卸電力業者とも呼ばれる発電を専門にする会社で、充電した電気は電力会社へ販売します。鉄鋼、石油、化学など重厚長大型の産業が、燃料の調達力や自家発電設備を生かして新たな収益事業を立ち上げるべく参入しました。自家発代行は、発電機を需要家の敷地内(オンサイト)に設置し、当該需要家にエネルギーを販売することから、オンサイト発電事業とも呼ばれています。この事業は、自由化の成果となっただけでなく、電気と熱を同時に供給できるコジェネレーションを行う事で、分散電源の普及とエネルギー利用の効率化にも貢献しました。
大規模電力販売の解禁
2000年4月には、特別高圧と言われる2,000kW以上の大規模工場、大規模オフィスビルへの電力販売が解禁され、PPS(Power Producer and Supplier : 特定規模電気事業者)という発電と電力の小売りを行う事業への参入が認められました。PPSはIPPと同様に発電を行うことに加えて、需要家向けに電力を小売販売するのが特徴です。IPP事業を既に手掛けていた企業、あるいは商社、ガス会社、通信会社、大規模な自家発電設備を保有する企業など、幅広い分野の企業が参入しました。
その後、2004年4月から500kW以上の工業やオフィスビル、2005年4月からは50kW以上の工場や業務ビルがPPSの対象となり、自由化の範囲が拡大されました。
頓挫した自由化
まとまった量の電力を販売し、顧客獲得の手間を抑えることが出来る大口顧客市場は、新規事業者が参入しやすい市場です。電力会社にしても、利幅の薄い顧客層だったため、一部であれば自由化を許容しやすい、と言う事情がありました。しかし、相互に競争せず発電から小売りまでをカバーする垂直一貫体制を備えた電力会社中心の議論から生まれた段階的な自由化は、当然のことながら、電力会社に有利な構造にしかなりませんでした。電力会社は圧倒的な発電規模を背景に、度重なる対抗値下げをしかけました。PPSは苦しい戦いを余儀なくされ、多くは事業の拡大を阻まれ、撤退に追い込まれる事業者も出ました。こうした電力優位の市場の中で生き残ったのは、燃料調達力のある企業が設立したPPSでした。東京ガス・大阪ガスが出資するエネット、JX日鉱日石エネルギーや大手商社が出資するPPS、大規模自家発電装置を持つ新日本製鐵と言った企業です。
電力市場全体の2%にとどまる
結果として、PPSのシェアは、小売り自由化から10年以上たった2011年度で自由化範囲のわずか3.6%、電力市場全体の2%にとどまりました。特に、北海道電力、東北電力、中部電力、北陸電力、中国電力、四国電力、九州電力管内では、電力市場全体のシャアが0.5%にも満たず、電力会社の地域独占状態が続いていました。一方のIPPは電力会社に卸売り先が限られたため、新規参入者同士が競う事になり、電力会社のコスト削減機能の一つに過ぎない存在となりました。
日本の電力自由化は失敗した、というのが多くの関係者の認識です。