戦前、日本は急ピッチで近代化を進めている時代。
日本の電力史上に残るひとりの男がいました。
人は彼のことを「電力の鬼」と呼びます。
今ある電気事業者の前身のほとんどが彼によってつくられたと言っても過言ではないかもしれません。
ちなみに、松永安左ェ門の家系をたどると松任谷正隆にたどりつくそうです。
松永安左ェ門の誕生
松永 安左エ門は1875年(明治8年)に壱岐島で生まれました。
福沢諭吉が創設した慶応義塾に入塾しその頭角を現していきます。
常に10年、20年後の日本のためにできることを考えていたそうです。
慶応義塾をやめた後、日本銀行に就職しますが、サラリーマンの生活になじめずにすぐにやめてしまいます。
その後、様々な事業を興し実業家として名を上げ始めます。
中でも石炭商で大儲けをし、人脈も築きあげます。
この石炭での成功から電力事業へと向かっていくことになったのです。
松永安左エ門の持論
当時、日本の経済の大半は財閥によって牛耳られていました。
松永安左ェ門はこの体制を批判し、自由競争市場の中で勝ち残っていける企業が本当に素晴らしい企業であるという持論を持っていました。
この考えのもと松永安左ェ門はその影響力をどんどんと伸ばし、最終的には東京電力を含めて100社以上を経営するまでになったのです。
次回は戦時中から戦後の松永安左ェ門についてまとめていきます。
参照元:http://criepi.denken.or.jp/intro/matsunaga/index.html
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