原子力発電に至るまで
戦後の解禁
太平洋戦争で無条件降伏した日本は、旧連合国により原子力技術にかかわることを禁じられましたが、1951年 サンフランシスコ講和条約が締結されたと同時に、原子力技術の開発が解禁されました。
原子力技術の開発が解禁されると、日本の技術者・政治家が原子力技術の導入に向けて動き出しましたが、当時の国民には広島・長崎の原爆の記憶が生々しく反対の声も多く上がりました。
そういった声を受けながらも、原子力開発の予算案は1954年に認可される事となりました。
その背景には、当時の世界情勢が大きく関係したとされています。
アメリカが原子力技術を供与した背景
日本の原子力導入のほんの10年前まで、日本はアメリカにとっていわゆる敵国でした。
当時の最先端技術であり、パワーバランスに大きな影響を与える原子力技術を日本に供与するのはアメリカにとっても大きな決断だったと言えましょう。
当時、アメリカを取り巻いていた国際情勢はあまり良いものとは言えず、太平洋戦争終了直前から米ソ両大国の関係は悪化の一途をたどっていました。
アジアでは、1950年に北朝鮮軍がソ連とアメリカが太平洋戦争終了時点で合意していた北緯38度線を越え朝鮮戦争が始まり、日本でも共産主義思想が力を増していました。
日本での反対の声を押し切ってまで原子力医術の導入の流れを作ることができたのは、このような緊張感が高まる世界情勢があったと考えられます。
原子力発電と核兵器は基本的には同根です。
そのためアメリカは西側陣営に属さない国の原子力発電には非常に神経質になります。
日本では「エネルギー問題を解決するために原子力発電の技術が導入された」と言われることがありますが、1950年代初頭は終戦間もなく、日本は懸命の復興を図っていました。
その時期にエネルギー問題を解決するのであれば、開発されて間もない原子力よりも、大型水力や火力発電の技術導入を急いだほうが合理的だったと考えられます。
原子力発電の導入決定には、単なるエネルギー問題ではなく世界のパワーバランスに対するアメリカの意向があったことがうかがえます。
原子力発電技術の維持
原子力発電については、慎重に維持する必要があるのではないでしょうか。
その理由として、まず第一に、有力なエネルギーの手段を断ってしまうことの危険性があげられます。
化学燃料や再生可能エネルギーが有限でありエネルギー需要を賄えることの実証がされていない事、人類の拡大と欲望がどこまで続くか予想不可能なことを考えると、安易に原子力発電を切り捨てるのは危険といえます。
第二に、核燃料サイクルや核融合などを含む核エネルギー技術の可能性です。
高速増殖炉や使用炭核燃料の処理技術がなかなか完成しないのは確かですが、理想的に開発できれば夢のエネルギーとなる可能性を秘めていることもまた確かです。
原子力発電をいったん切り捨ててしまえば、再び必要となる場面が来ても再開発するのは容易ではありません。
ここで必要なのは、「リスクを最小化したうえで、さらに技術の発展しているであろう次世代へ引き継ぐこと」ではないでしょうか。
また、以上のことからリスク管理するための十分な技術が確立されていない現代に、原子力発電に大きく依存したエネルギーシステムを構築するのも望ましくないと言えるでしょう。