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電力を供給する一般電気事業者はなぜ10社なのか

電力

現在、電力市場をほぼ独占している一般電気事業者。

北は北海道電力から南は沖縄電力まで地域ごとに分割され10社あります。

なぜ10社に分かれているのでしょうか。

市場を独占しているのであれば、1社がまとめて管理した方が公平なサービスを提供でき、地域間の移動も楽だと思ってしまいますよね。

戦前の電力戦

もともと電力市場は自由競争なものでした。

明治19年に日本初の電気供給会社が誕生してから、安定供給や保安に関しては電気事業法で規制されていました。

しかし、市場競争に関しては特に規定はなく自由な供給が可能でした。

しかし、実際は当時の技術では発電所を作ってその周辺地域に電気を供給するだけにとどまっていました。

この時期に日本中に数多くの電力会社が誕生しました。

電力供給事業と合わせて鉄道事業を展開する会社が多かったので、現在でも残る鉄道会社が誕生した時期でもありました。

たとえば、現在の西武鉄道は全身の帝国電灯が電力事業の副業として始めた鉄道です。

時代が進み明治の後半になると、発電や送電に関する技術は飛躍的に発展しました。

これによってより効率的な発電が可能となり、長距離の送電が可能となりました。

各社は合併を繰り返して、それぞれの勢力範囲を伸ばしていきました。

最終的には東京電灯、東邦電力、大同電力、日本電力、宇治川電気の5社に集約された形となりました。

展開地域が重なる会社もあり、ダンピングや収賄などあらゆる方向からの争いが起きました。電力戦といわれるのはこの時期です。

 

戦中の電力市場

時代を経て、戦争が本格的に進むと政府は電力管理法という法律を作りました。

これによって、電力5社は解体され、日本発送電株式会社に集約されました。

戦時体制が本格的になり、国家総動員法が発布されると、電力は1発電9配電のシステムが確立されました。

現在の一般事業者の内、沖縄電力を除く9社はこの9つの配電会社を前身としています。

 

電力戦の反省から生まれた一般電気事業者

5大電力会社が席巻していた時代は不法な値下げや競合に対する攻撃、過剰な投資など国民にとっても不利益となってしまうような戦略が数多く使われていました。

このような事態に二度と陥らないように一般電気事業者は設立されたのです。

しかし、現代、電力自由化が世界的なトレンドとなり、日本も自由化に踏み切ることになりました。

もちろん大正時代のような無謀な競争は起きないでしょうが、競争は行われます。

国民にとって不利益になってしまうような市場にはなってほしくないものですね。