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「電力の鬼」と呼ばれる松永安左ェ門。その名の通り、多くの電力会社の前身を作り上げました。彼の才能は電力にとどまらず、今でも残る数多くの企業や国家を挙げた大プロジェクトに参画していました。今回はそんな松永安左ェ門が関わった企業・プロジェクトの全容を紹介していきます。
福沢諭吉に学び、慶応義塾大学に進学
長崎の商家に生まれた松永安左ェ門は、「学問のすすめ」に影響を受け福沢諭吉の福澤門に進むことを希望していました。時間が経つごとにその願望も強くなり、希望通り福沢諭吉の慶応義塾大学に進学しました。
家業の商家を継ぐ
慶応義塾大学に進学後、松永安左ェ門が最初にかかわった仕事は家業の商売でした。父の他界を機に家業を継ぐことになったのです。長崎の比較的多きな商売だったとはいえ、扱っていたものは海産物が中心。松永安左ェ門はもっと大きな事業にかかわりたいと願う日々を暮らしていた時代です。
日本経済の中心、日本銀行へ
家業を継いだ後、再び慶応義塾大学に戻り、福沢諭吉の養子の福沢桃介の紹介を受けて、日本銀行に入行しました。
福博電気軌道を設立
始めて松永安左ェ門が経営者として関わった企業です。福沢桃介とともに設立し、九州での路面電車事業をスタートさせました。
エネルギー関連事業を数々手がける
日本銀行になじめず、退職した後は石炭などのエネルギー事業を立ち上げました。このころから電力、エネルギー事業への意欲が高まってきました。
東邦電力(現・中部電力)、東京電力など100社を経営
「電力の鬼」と呼ばれた時代には100社以上の電力会社の経営にかかわっていました。今の一般電気事業者の中で松永安左ェ門に関係のない会社はないと言っても過言ではありません。
松永安左ェ門の特集ページ
松永安左ェ門の考え方や経歴を特集ページでまとめていますあわせてご覧ください。
電力の鬼・松永安左ェ門の家系は今の松任谷正隆につながっていたりもします。今の時代でも語り継がれる日本の電力王といえますね。