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発明の王 エジソン②

エジソン②

前回はエジソンの幼少期の生い立ちに関して紹介しましたが、今回はエジソンが発明の王としてどのようなキャリアを歩んできたのかを紹介していと思います。

 

エジソン、初めての発明

 

エジソンが15歳の時によく出入りしていたマウント・クレメンズ駅で偶然列車にひあれそうになっている当時の駅長の息子を助けたことをきっかけに駅長から電信技術を学ぶきっかけがあり、その後電信技師としてのキャリアを歩みだします。ここでもエジソンらしい逸話があり、電信技士には夜勤があり、エジソンももちろん夜勤の仕事を割り振られます。夜中に1時間に一回発信をしないといけないことに辟易していたエジソンは、自分の代わりに1時間に一回自動的に発信してくれる機械を作り出します。これがエジソンの生涯で初めての発明品となりました。しかし夜勤作業ではいつも居眠りをしていてろくに発信が来ないエジソンが急にきっかり1時間おきに発信をするようになったことに対して不思議に思った上司が様子を見に行くと勝手に動いている機械の隣で爆睡しているエジソンを見て上司は激怒し、会社をクビになるというほろ苦い発明となりました。

 

幻の発明品

エジソンは会社をクビになった後も電信技士として他の会社で働き続けます。電信技士はその当時非常に給料が高かったためその収入をつぎ込むことで最新の科学知識を学ぶため実験を続けていました。

そんな中エジソンは21歳の時に「電気投票機」を発明します。電気投票機は既存の議会運営をより早くするためには画期的な発明でしたが、議会の戦略的に、マイナスな面が多かったため、結局採用されませんでした。このことをきっかけにエジソンは発明をする際には大衆が必要だと思うものを発明しないと意味がないと気づき、今後のエジソンの発明家としての人生に大きな影響を与えました。

 

初の成功作

 

次にエジソンが発明したのが株式相場表示機「ティッカー」です。これは22歳の時にエジソンが株式市場に関わる会社に勤めていた時に発明します。「電気投票機」とは打って変わって「ティッカー」の特許は当時の4万ドルという高額で売却され、エジソンの発明品の中で初の成功作となりました。

この4万ドル資本金にエジソンは会社を設立し、発明家としての道を歩み始めるのです。