電力比較・切り替えサイト:energy-navi

日本の発電所の歴史

発電

日本の発電所は、明治24年に初めて京都府の蹴上(けあげ)水力発電所が事業用として送電を行いました。一方東京では、明治40年に山梨県の大月市に駒橋水力発電所が作られ、東京まで送電が行われました。その後、大正時代に起きた第一次世界大戦(1914-1918)は、主にヨーロッパが戦場となった戦争でしたが、戦争が始まるとヨーロッパの企業がアジアの市場から引き上げたため、日本の工業はその穴埋めをする形で急成長しました。
そのため、電力もたくさん必要となり、高電圧で長距離に電力を送る技術も発達した背景もあって、電力会社も全国のあちこちに設立され発電所も増えました。

しかし、発電形式としては水力に頼っており、昭和20年代までは水力発電が電力供給の中心で、この頃は「水主火従」という言葉で、発電の中心は水力が必要であることを伝えていました。
昭和30年頃になると、電力の需要がさらに大きくなり、建設費が安く、短期間で建設できる火力発電所(当初は石炭燃料)が多く造られ、やがて数年後には採取が豊富で安い石油の出現によって、火力発電が水力発電を上回って、火主水従の時代になりました。

その後、日本の置かれた脆弱なエネルギー事情から、石油への依存度を減らすことを考慮して、少量で大きな電力が得られるウランを燃料とする原子力発電に注目が集まりました。
日本の原子力発電の歴史は、1966年に初の実用規模の原子力発電所として東海発電所が運転を開始したことから始まりました。以来、原子力発電所の建設が進み、現在ではアメリカ、フランスに次いで世界で3番目の原子力発電設備を保有するまでになりました。

原子力発電所は資本費が高い(設備の建設にお金がかかる)のですが、運転するための費用は安いという特徴をもちます。さらにいったん運転を始めると発電量の調整がしにくいことから、原子力、火力、水力の3つの柱をバランスよく供給するベストミックスにおけるベース供給力として利用され、常に一定の電力を供給するよう考慮されています。