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再生可能エネルギーによって蘇った町…キーワードは「地産地消」

再生可能エネルギー

「ギュッシング」 そこはオーストリアで最も貧しい地域

オーストリアの東端に位置するギュッシングは人口4000人の小さな町でした。

主要産業はゼロ。商工業企業もなく、地元就職先はほとんどないため多くの住民は160kmも離れたウィーンで勤務していました。

広大な自然林はあるものの林業としては成立しておらず、農業、酪農、畜産も崩壊しているといった状況。

交通インフラも未発達のため、1988年当時ギュッシングはオーストリアで最貧の地域と呼ばれていました。

そんなギュッシングですが、転機が訪れます

「ギュッシング」を変えた男

1988年 ギュッシングの町長にペーター・バダッシュ氏が就任

当時ギュッシングは年間約650万ユーロ、日本円に換算しておよそ8億円のエネルギーコストがかかっていました。

バダッシュ氏がギュッシングから流出する多額のエネルギー関連費用に疑問を持ったことが発端です。

「なぜ利用されない木材が何千トンも朽ちていくのに、数千キロも離れた場所から石油やガスを輸入しなければならないのか?エネルギーの輸入は、ギュッシングに何の利益も無い。」

こうして、バダッシュ氏の挑戦が始まりました。

ギュッシングが目指したのは「地産地消」

使われていない豊富な地域資源をフル活用し分散型エネルギー供給体制を作り、エネルギーの自立を図りました。

エネルギーを作った場所で消費する、地産地消がカギとなります。

ギュッシングは太陽エネルギー、木質系バイオマス、農業系バイオマスなどの再生可能エネルギーをフル活用して徹底した省エネ対策と再生可能エネルギー網の構築を行いました。

主な取り組みはこちら

1992年 木質バイオマスを燃料とした暖房用熱供給を開始

2001年 木質バイオマスを利用したコジェネレーション発電を開始

2005年 再生可能エネルギーでギュッシング内のエネルギーをほぼ賄えるようになる

エネルギーの自立という目標を達成したギュッシングは次なるステップに歩を進めます。

怒涛の成功

安い土地と安い熱を提供し、木くずや廃材のごみは買い取ることをウリに、ギュッシングは企業誘致を狙いました。

するとこれが安い熱を求めていて、かつ廃材の処理に悩むフローリング会社の要望にベストマッチすることとなります。

大手フローリング会社のギュッシング進出が加速した結果、50社の誘致1100人の雇用創出に成功しました。

そして、現在のギュッシングは2015年度内にバイオガスパイプラインの完成と2ヵ所のバイオマス発酵所を計画中です。

こうして、オーストリアで最も貧しい地域と言われていたギュッシングは再生可能エネルギーのパイオニアとなりました。

今もなおギュッシングには多くの専門家や学生、ジャーナリスト等が訪れ再生可能エネルギーの在り方を研究しています。

ギュッシングを救った再生可能エネルギーですが、米国では再生可能エネルギー100%移行プランが学術誌に掲載され話題となっています。

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